夏化粧:池上永一

 一人の作家のなかで「ワガシマヌパナス」「風車祭」の素朴でおおらかな世界と「レキオス」「ぼくらのキャノン」の闘争的な世界が生まれるが不思議に思っていた。この本はちょうど中間で、ようやく繋がったような気がする。オバァのいたずらも、命をかけるような過激さも、不思議な溶解も、過剰な生命力からあふれ出てくるようだ。大きな恒星は自重のために明るく輝き、短命であるのと同じなのかもしれない。私の好きな東北の文学も素朴さに関しては同じだけど、内に溜めることで最終的に噴き出す気がする。この本の外に溢れてくるような生命力は、池上永一特有か文化的なものか気になる。
 それにしても母が子にかかった呪いを解く話に関わらず、勇気のある者だけが1つを得る為に全てを捨てることを試される点で凄く男性的だ。一人の燃え上がる生命と破滅に感動もしたが、このようなマッシブな価値観の限界も明らかになっている気がする。作者が本を増やすにつれて、物語の完成度が上がってきているので、その中に住む人間とのバランスが変化しているようだ。
 1人の人間が、二者択一の選択によって1つの答えにたどり着いたとしても、それがその人間の全てを反映していないんじゃないかな。人間性が削られて記号となってしまうと思う。その結果、物語の完成度が上がるほど人間が物語に食われてしまい、その後の物語が想像できないような閉じた話になるだろう。次の物語では、作者の価値観の解体と再構築が必要だと思う。この作者には破天荒な物語、人間たちがもっと自由な世界が真骨頂だ、次に何がくるのか期待している。