ゲーム機は携帯型へ移るのだろうな

DQIXがDSで出ると発表される。もうゲームをやらなくなったFC世代だけど、発表を聞くと時代は携帯ゲーム機に移ったなという感慨が・・・。象徴的な発表だ。もともとDQはグラフィックがどうこう言うものでなかったので、DSって画像も悪くないし十分じゃないか。むしろ、どこででも出来る中毒性の方が問題かも。

ゲーム機が据え置き型から携帯型を好むということはユーザーは2つを求めていることになる。

  1. 個人のみで使用する
  2. 多機能化でなくて携帯性を重視する

1.は解りやすい。共有によって資産の共有以上の価値がないと「共有」の価値がない。ほとんどの商品は個人所有に向かっていくことになるだろう。wiiがパーティ ゲーム機を目指しているのは、このためかと思う。TVの大画面化も映画のように家族でみる事を無意識に目的にしているのかも。

2.は極論を言えばPCのような何でもあり機械は求めていないという意外な結果だ。他の商品としてはiPodと辞書専用機なんかがある。これまでのゲームに関しては、完全に個人の為のものだから時間を生み出してくれる携帯性は重要なんだろう。

据え置き機は共有するための機能を強化しないと、生き残れないことを意味する。そうするとPS3メディアプレーヤーを取り込む事で「共有する機械」の位置を保持しようとしていると読み替えられる。だとすると、メディアプレイヤー機能がおまけ程度では駄目で他のプレーヤーと勝負できるものが必要だ。まだ、メディアプレーヤーとしての機能を十分に考えている市場レポートって見ないけど、かなり重要なポイントじゃないかな。自動車を購入する時、年に1,2回しかない旅行や荷物運びを考慮して買うのに似ている。実際に、そのように使う時間は少なくても「できる」ことが重要なんだと思う。写真やビデオサーバーがコンテンツとして有効かも知れん。

Xbox360がコアなゲーマーしか取り込めないのは、文化的な違いより開発の方向性が完全に間違っているための可能性が高い。そう考えると、やっぱり日本のゲーム文化って他国よりも先に行っていて、今ちょうど谷に当たる時期にいるのかな。

追記
探すとあるものだ。3者3様の会話が上手くポイントをあぶりだしている。他の話題もすごいんですど・・・。
http://d.hatena.ne.jp/software_design/20061011
一般メディアは「伝える事」が仕事で、ポイントを示すなんてしないのかもなー。死活問題である当人以上に考えている人間がいる訳ないし、任天堂以外のゲーム機会社が自機の論理的なアピールをしない事や、利点を見せる体験を宣伝にできないのが一番問題かも。