アフィリエイトと広告

ちょっと遅れてだけど、こんな話が上がっている。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50877247.html

  1. MADにオリジナルの広告を載せると購入されること。
  2. ユーザーの遊びのなかで広告が消費されること。

マジですか?このまま成功してしまうかもしれないのは驚きだ。こういったものは地域性が強いのでyoutubeが日本の全体に受け入れられるとは思わなかったけど、日本発ならどうかな?と考えてしまう。

1番目は、これだけでは説得が、まだ難しいな。オリジナルが、まるまる載せられても販売量が増えるとかでないと。DVDの値段のたかいので良いと思わなければ買わないし(邪魔でもある)、ということは、どこかで見ているけど購入しているという事だから可能性はあると思う。
2番目は、リアルの世界でも、友人に薦めたり薦められたりして購入する事も多いし、"その手の世界"を知ることが多い。blog発の成功例としても趣味性の高いものや生活雑貨、ナタリー商品なんかが入ってくる。これらは使い勝手がとても重要なのだけど、説明しきれない商品だったり、一定の人たちには十分話題として価値がある物だ。そういえば、2chの簡単に作れる料理の話題とかは繰り返し板が立つし、2ch観測サイトで取り上げられるな。話題にレスポンスすることで擬似的なユーザー体験ができるということなのかも。他の媒体に較べて強力な誘引力があるのは間違いない。

将来、商品情報がユーザーのものになるかというと、それはない。話題になったものが爆発的に売れるのはTVでなくても変わらない。広告の作成会社は、もともと複数の商品を受けそうなTVの企画にパッケージするのに優れているのだから、ネットの上の話題性も研究して効率よく伝播させる方法を生み出してくるだろう。そうなれば、小さなサイトなんかお呼びでなくなる。というか、波に乗せられてしまって自発的に協力するだろう。ここで述べられているのは、媒体が変わって広告のスタイルも変わるよ。という事に過ぎないのかもなぁ。


広告と違うのは、情報の責任が明確でないこと、タイミングがコントロールできないことだろうか。集合による行動が、強力ではあるが最適でないことも多くある。
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/07/post_514.html
民主政治では政党や選挙制がバッファーとなっている。株式市場でも情報の透明性が強制され、場合によって流動性が抑制されている。こういった社会を維持するための制限は、ネットワーク上の言葉についても必要になってくるだろうな。その基準は変化し続けるだろうけど。