ホワイトカラーエグゼンプションについて考えてみた

 最近の再燃した話題のホワイトカラーエグゼンプションには仕事の時間の使い方を自由にできる点は大きな魅力があり、自分も興味がある。しかし、ブログの議論だけでなくて法案も方も本質を忘れてグタグタになっていると感じる。
 肝心なのは、ホワイトカラーエグゼンプションの適応範囲のはずだ。この法案がインセンシシティブに働くのは仕事量を自分で決められる業種だ。仕事が個人で完結し評価すればすむような仕事ならば、収入にかかわらず適応範囲に含めた方だ良い。きっと仕事効率をあげる努力をして今よりも生産性が良くなる。それ以外は仕事効率を低下させる。なぜなら、会社が仕事量をコントロールしてるような業種で、賃金が仕事量に比例しないのならば、仕事効率を上げるのも仕事量を増やすのも変わらなくなるからだ。わざわざ努力して仕事効率を上げたりしないだろう。
 終身雇用制度が無くなった状態で、間違った業種にホワイトカラーエグゼンプションの適応するとかなり致命的だ。多くの人は出世しないし、特に末端の人は仕事量が評価されることはまずない。年を重ねることで給与が上昇するなら、仕事を長く続けられるように工夫もするだろうが、そうでなけば怠けようとする。ノルマは生産量で決まってくるだろうから、判断のつきにくい質の部分を落とすだろう。会社は知らず知らずのうちに評判を落としていく。これでは生産性を上げるための制度として意味がない。ブログの議論をみると業種を考慮した議論になっていない。現在、提案されるホワイトカラーエグゼンプション制度に捕われずに議論してみると良いのでないだろうか?

 私が仕事効率を向上のためと考えると、個人の仕事が評価されるような業種はホワイトカラーエグゼンプションなどという制度がなくても個人業として成り立っている。会社でも管理職なら関係のない話だ。この制度が適応されて変わる範囲は無視できるほど限定される。今のままでも雇用契約を個人への仕事依頼にかえれば良いのである。わざわざ法として通すのは認識を変える為のパフォーマンスだと思う。

 理念的には以上なのだけど、そこに各立場の人の思惑が入ってきたのが今回のホワイトカラーエグゼンプション制度だ。肝心の業種をあいまいにして、下限給与金額を示していている所をみると給料を下げることが本当の目的だろう。日本の雇用されている人間の平均年齢は上昇しつづけており、賃金を抑制する必要がある。
 近年、雇用した新人雇用形態では年をとっても賃金を抑制できる。問題は以前雇用した人間だ。特に不況を新人の雇用抑制で乗り切った会社は平均年齢が高くなっており、不況から10-15年たった今、かなり影響がでてきているだろう。30歳後半以上の給与を抑制し、世代間の差を減らすことが、この制度のメリットだ。日本の雇用形態が移行時のショックを和らげる効果が一番大きいと思う。その辺も議論に加えてはいかがだろうか?