失われた10年とは何だったのか

 グローバリズムの発達と共に日本の経済力が低下して大不況になった。あの時は、まるで新しい社会が構築されつつあって、乗り遅れるのでないかと考えた。特に物品の値段の低下は、将来日本で物を生産することが不可能に思えた。けど、最近の資源コスト、人的コストの上昇を見るにつけて、それは正しい認識じゃなかったと考えるようになってきた。
 現在、中国で大量の資源が必要とされており、中国国内で消費になってきている。市場規模は既に日本を超えて世界で2番目である。不況などで一時的に停滞しても以前の消費レベルには戻らないだろう。インドも中国に続いて成長してきており、大きな市場になるのは疑いない。これらは経済のグローバル化による必然の結果と見てよいだろう。
 世界の資本は偏在しており、このこと自体が原因で主に人的コスト、生産コストが高止まりしていた。結局、グローバル化というのは、地域差をならす時に生まれる利益を利用して投資効率を上げることだった。だから、10億人だった先進国の人口に中国の13億人が含まれる頃には、現在の状態とは変わってしまうだろう。
 ともかく、90年代に見つけたこの金鉱は非常に大きかったので、資本の分配の多くの部分が使われたのだろう。その結果、先進国域内の投資が減少し市場が縮小するので一時的な需給バランスの崩れが生じる。その一方で、低価格の工業製品と競合し利益と販売量を低下させる。不況が価格をより重視する消費傾向を拡大する。起こっていることは、ヨーロッパの復興とともに起こった世界不況と変わらない。
 大規模な需給バランスの崩れが不況を起こしたのであって、日本の社会や企業の構造の硬直化が主因とは考えられない。まぁ、硬直化していたのは事実であったとしても、組織の改善による生産性が向上は微妙で、生産量の調整だったのでないか。
 こう考えると、先進国の工業は軒並み大きなダメージを受けたのも当然だ。アメリカは工業の衰退を投資先を変えた金融業の生産性でカバーし、イギリスはそもそも工業が壊滅していた。このような国のみが生産性を向上させることが出来たのだろう。