ゼロ成長、内向きについて

http://blog.tatsuru.com/2009/01/05_1110.php文章が複雑に入り組んでいて、かつ面白いので脱線気味に少々思ったこと。自分の印象では経済的はどうかはともかく、ゼロ成長ではないし内向きでもないと感じた。喰うに足りれば十分と言っている一方で、喰うために外の状態にも目を向けている。そんな感じによめた。

サイズの問題について。

 問題の本質は人間の認識力の限界にある。時間をかけても数千のオーダーが一つ一つに注意を払える限界量だと思う。分割して行っても数百万を超えると効率が下がりそう。

 これは単純だといっているけど個人からグローバルまで応用範囲の広いテーマだろう。例えば政治だけでなく経済も同じで、グローバル化は個々のニーズまで踏み込めない事を意味している。現在グローバル化とニッチ化が同時に進行している。市場が拡大し商品の値段が下げられた一方で個々のニーズを満足させられない。これが値段を下げても消費者の動きが鈍い原因の1つでありそうだ。ニッチで内向きだけど部品を組み合わせたカスタムの商品と消費者のマッチングには未来がありそう。

後追いと結果評価について

 日本は島的な安定した社会構造を持っているので内側からの変化が起こりにくいが、社会構造の外から来た変化でたやすく変化する。社会構造の外から来た変化が本質的に有利な点がなくても、短期的にはしがらみがない分有利である。これ以上サイズが小さければ文化的な隔離状態を作るのは困難で、これ以上大きければ社会構造が常に変化する事になる。そういう微妙な相対的サイズなのだと思う。その為、外部のやり方を引き合いに出して変化を促す行動が刷り込まれているのだろう。

 それはそれで良いのだけど、問題は指摘通り評価が浅いこと。バフェット氏が本物と模倣者と愚者がいると言ったけど、模倣者と愚者のギリギリの線だと思うし、模倣もそこに自分の考察を加え始めると本物になってくる。まったく同じ事を分野を変えて話しているのだろうなと感じた。原因として少ない情報しか入ってこなくて議論にならない事と議論が一部に留まって一般化していかない事(影響力が少ない)にありそう。もう一段上の内向きを目指すなら外向きになる必要もあるかな。

内向きについて

 ここでいう外向きは世界標準化という意味で使っていて、それに対して内向きを使っている。そして自分がどの程度、国内仕様であるかを計りながら行動する事を忠告している。先ほども言ったけど、一般的な商品の需要はほとんど満たされて、そこに価値を見出す人は少なくなってしまった。その一方で、内側には満たされてない需要がかなりあって、そこに対価としての価値がある思う個人がいる。その接続が上手くいっていない。必要なのは、コミュニティ、仲介するメディア、要求を満足する物質がリンクする事かな。内側にも関わらず新しい場所を見つけたとき、それは国内仕様なのかと考えるとより深まると思う。