陰陽師

 陰陽師シリーズの初期は人の性について語る物語が多かったのが、徐々に存在そのものについて語る物語になっていた。今作品は淡々としているようでいて、それを強く感じた。陰陽師風にいえば、どちらも同じく呪であり人にかけるか自然にかけるかの違いという事になるのか。自然にかけられた呪は人の身には理解しにくく、見えにくい。これを自然と目にして感じ入ってしまう源と解き明かしてみせる清明の会話がとても面白い。
 雪についての会話では、酒を飲みながら雪が降ってくるのか地上が挙っていくのかと驚くような視点を何気なく持ち出すとこから始まって雪を見るは自然にかけられた呪を見ることだとなる。雪をそこまで楽しめるなんて羨ましい。それでいて源はやはり不思議だという。たぶん人の視点では見渡せない部分をふしぎと感じ、なぜ呪が自然にかかっているのかというような疑問の広がりが合わさって出た言葉だろう。この素直な友人を清明がすばらしいと感じるのが良く分かる。また四季の移ろいという形で目にみえない大きな何かが動いているのが分かるといきなりいう。言われてみれば、法則は実際には見えず現象から推測しているのだ。清明が、わかるかどうかは、やはり人によるのだと思うのも無理はない。日々の出来事の中で見えるものを素直に語り合える友人が得られるのはすばらしいなあ。
 本編では棗僧正の話が面白かった。吉野の山で仙人が碁をを打つのを観戦してたら、あっという間に50年がたってしまったという話だけど、人の一生の短さ行えることの少なさが少し切ない。人は気づかないうちにあっという間に時間を使い果たして、もう少しやりたかったなと思うのかもしれない。人生を受け入れるって、そんなものなのかな。仙人たちの碁に観戦に時間を費やして良いのかという言葉が心に残った。