Window 7への移行

PCハードの変更

メモリを増やすためにXPから64bit windows 7へ移行する。intelは新しい規格へ移行途中で高いので、AMDのAll in のマザーボードを購入した。現在のPCにはマザーボードへの12Vコネクターがないので電源も購入した。

  • 2GB × 4 DDR3メモリ
  • マザー M3A790GXH/128M
  • PhenomeII x4
  • 650W 電源 ZU-650B-KA

ケースの5インチラックとマザーボードATXネクターが干渉してしまうので、金ノコで一部を切り取った。組み立ててみると、信号を送るケーブルがシリアルとなって取り回しが良くなった一方、コードの数が増えてキレイに纏めないと逆にスペースを喰ってしまう。その上、電源コードが異常に増えて、ケース上部の空間が足りなくなっている。電源と5インチケースのあたりのコード取り回しが難しくなった。これで長いグラフィックカードを入れたら、手を入れる空間もなくなるだろうな。

Windows 7のインストールは問題無し。起動が速くて良い。起動直後は1.6GB程度のメモリを必要とし、プログラムを立ち上げるたびに200から500MBのメモリを消費する。4GBくらいのメモリがあれば快適に使えそうだ。

まだ操作がわからない点

  • ユーザーフォルダーの場所
  • ディバイスマネージャーの入り方
  • Windows ネットワークへ入り方と権限

旧XPの仮想化

話は前後する。旧XPの環境を移行するのに時間が掛かりそうな上、居住スペースの関係で2台は置いておけない。VMwareで物理PCを仮想化できるので、旧XPを仮想化した。最近のPCからの移行ではHDDが遅く感じるかもしれないが、 5年前のPCから移行した場合は仮想PCは非常に速く感じた。PDF, Wordの操作は以前より早いくらいで、ゲームでは一部引っかかりを感じた。通常操作時のCPUへの負荷はほとんど無く、以前の仮想化ソフトとは全く違った印象だった。メモリ、ハードディスクの容量は当然食うが、ホストの他の操作を妨げない。

メモ
一部認証のあるソフトが誤作動している?
こうなると広い画面が欲しい。


1. VMwareへユーザー登録。
2. VMware vCenter Converterのダウンロード用の登録
3. メールが届いたら、サイトへ飛びダウンロード

http://feed.designlinkdatabase.net/feed/outsite_33613.aspx"手元のWindows仮想マシンに変換! 「VMwareラクラクお引っ越し術"を参考にコンバートする。

4. Windowsのライセンスを確認する。パッケージ品ならいいが、PCへ付属してきたwindowsはハードウェアが変わることになるので駄目。ノートPCとかは駄目。
5. コンバート時間を減らすため、windowsサービスを極力一時停止する。コンバートにかかる時間が1日くらい短縮できる。
6. 仮想化するドライブより容量の大きいハードディスクを接続する。
7. 仮想PCの名前を決め、仮想化するOSのあるドライブを指定し、ファイルを保存する場所を指定する
8. スタート。350GBのドライブで3日かかった。
9. Windows 7のわかりやすい場所にフォルダを作成しファイルを保存する。
10. VMware playerのダウンロード用の登録する。
11. メールが届いたら、サイトへ飛びダウンロードする。
12. VMware Playerを起動し、新規の仮想PCを作成で先ほどのファイルを指定する。
13. 仮想PCを起動する。0パラレルポートと1ポートがサポートしていないとエラーが出る。これらのポートを停止して起動する。
14. Windows XPアクティベーションを要求する。アクティベーションが必要な全てのソフトが同様の要求をしてくる・・・とほほ。

memo
WinXPが起動する。
Ctr + Gで仮想PCの操作、Alt + CtrでホストPCの操作ができる。
次々と不明のディバイスが見つかり、標準コントローラドライバーがインストールされる。
VMwareのページがわかり難い。個人用には別の代理店が売っているらしい?ホストがMacの説明になっているが、対応OSを見るとホストとしてWindows, LinuxでもOKか?まあフリー版を入れてみて確認するほうが良さそう。

ドライバーの導入

1. しばらくすると、VM PlayerからVM toolsのインストールを促されるので、VM toolsをダウンロードする。
2. VM Player上部の操作からVM toolsのインストールを始める。仮想DVDを読み込んだ形でセットアップが始まる。
標準でインストールすると、仮想PCのドライバーがインストールされる。
3. 画面の解像度を上げる。

日本語キーボードのドライバーをインストールする

仮想PCのキーボードが英語を想定しているからだろうが、PS2英語キーボードを誤認識してしまい日本語が入力できない。
http://communities.vmware.com/message/1390841;jsessionid=5E511496846811F5151B84B097D879AAを参考に日本語キーボードドライバーを強制インストールする。
1. コントロールパネルのデバイスマネージャ/キーボード詳細からドライバーを確認。
2. ドライバーの更新で、 一覧または特定の場所からを選択
3. 検索しないを選択、互換性のあるドライバーのチェックボックスをオフ、標準キーボードの日本語 PS2キーボードを選択。

ホストPCとの共有フォルダーを作成

仮想PCのネットワークとしてブリッジしてローカルネットワークに参加しているが、実際には仮想PCがホストPCから認識されない。または仮想PCからホストPCが認識されない。そこで共有フォルダーをを作るには、VM Playerから作ってあげる必要がある。http://usednote.seesaa.net/article/47492893.html"VMWare Playerでフォルダー共有してみる"を参考にネットワークドライブとしてホストPCのフォルダを認識させた。後先を考えずにやってしまって、コンフィグファイルを編集する必要があったのか確認できない。

1. ホストPCのわかりやすい場所に共有フォルダを作成する。
2. VM Player停止中にゲストPC名.vmxファイルを編集

sharedFolder.option = "alwaysEnabled"
sharedFolder0.enabled = "TRUE"
sharedFolder0.present = "TRUE"
sharedFolder0.writeAccess = "TRUE"
sharedFolder0.readAccess = "TRUE"
sharedFolder0.hostPath = "C:\****\****\SharedFolder"
sharedFolder0.guestName ="share"
sharedFolder0.eXpiration = "never"
sharedFolder.maxNum = "1"

3. VM Playerの仮想PCを起動し、VM Playerの設定から共有フォルダーを選択し、更に共有ドライブを選択する。
ゲストPCのドライブ構成を見ると、めでたくネットワークドライブができている。

Window 7のネットワーク設定がわからないので、これで良いのか、もうちょっと調べる。

最近のPCニュース

いろいろ遅れたようだけどgoogle OSが出た(http://www.gizmodo.jp/2009/11/_until_tod.html)。chrome起動用のOSと言って良いようなシンプルなOSだった。webアプリケーションを使う事が前提になっていて、自前でアプリケーションを作りながらgoogleのwebサーバ・サービスを広めていくのだろう。広告とwebサーバの貸し出しで利益を上げていきたいと考えているだろうし、サードパーティの参加具合によって、オリジナルアプリケーションを開発を調整していくことになる。iPhoneに近いビジネスモデルになる。実際には、しばらくはgoogle主導になるだろうな。

一方、マイクロソフトwindows azuleを発表
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/mobile/20091120_330201.html
会社向けの環境だなと思う。充実した開発環境を売りにしてwebサービスという形でソフトウエア(能力)を売る。自前で作れるSaasで、所場代をとるようなビジネスモデルだ。googleのビジネスモデルように商売にならなければサードパーティが入ってこないのとは違って、各社の自前の処理を受け入れられる可能性がある。しかし、Windowsはサーバ環境を用意しておりシェアを食い合う状態で、どちらを使うかはユーザーの判断に任せて積極的に提案をしていない。おそらく、既にサーバーを構築している会社では既存の形態を使い続けることになる。・・・なかなか辛いな。


個人向けソフトに対しては、ユーザーの利用とマッチしていないとの批判もある。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/mobile/20091121_330806.html

今頃になって「かんぽの宿」騒動で分かった!賛否両論なき日本のネットはゴミの山について考える。

1ヶ月以上前にhttp://diamond.jp/series/kishi/10027/という文章が載った。この方は、今までインターネットの普及に伴って変化している著作物の管理のあり方についてコラムを載せているので、ただ使いこなせないから行われるインターネット否定論のようなものとは違うだろう。
 マスメディアとしてのインターネットに対して失望した理由は2つあるらしい。1つは根拠のない主張あるいは稚拙な論理展開による主張が大半である。もう1つは、「検索」をかけると一方的な主張ばかりがトップランキングに入り、対立する主張が見えない。ない訳じゃないのかもしれないが見えないと述べている。

 脊髄反射的には検索の仕方が悪いのでは?とか大衆が理路整然とした議論をすること期待するなんてナィーブすぎるとか思い浮かんだ。しかし、これらの元となっている期待はインターネットの機能として興味がそそられる。

その1:検索結果がランキングによる一次元の配列では得られる情報が限られる。知りたいkey wordが同じだが関係のない話題や同じような内容のものばかりが出てきてしまう事も多い。そのために、いくつものkey wordを加えて知りたい情報を調節しているのが現状だ。不要な情報を切るp-value閾値も必要かなと思う。
 また、最近はクラスタリングされた検索エンジも複数でてきている。使ってみると、自分の考えていなかったkey wordが集団としてでてくる。今までのように検索をかけて移動し内容を読み、また別のkey wordを考えて検索をかけるような断続的は不便に感じる。key wordを操作しながら内容をよみ、必要なもの集めて表にする事が一般的な操作方法になると思う。今はそんなものはないけど、検索と内容の同時表示、一時的な履歴の保持とその履歴を取捨選択する機能があると検索という操作自体がずいぶん変わると思う。検索がインターネットで見える視界であるのは否定しないが、現在の形が視界の限界ではない。

検索の意味がわかってない・・・でも、検索はある種の世論を示している
http://blog.goo.ne.jp/rose6986/e/c66a503f51deb1e452aeaff689ab2a31#
http://blog.goo.ne.jp/rose6986/e/da8f8fb0f33fb1d3b0ff64cf4be37a81

そもそも議論が深まるには前提条件があり、それは常に形成されるようなものでない。かつては議論を2項対立にする権力性をマスメディアが持ち、それが機械が持つように変わり、従来から考えると不自然あるいは不在になっている?
http://d.hatena.ne.jp/yehl431/20090215/1234788400
google論・反google論でも権力性として展開されてた。しかし、この権力性が無くても良い曖昧で良いという意見は珍しい。前回blogに書いた世論を形成する前の「大衆の無意識」に近いのかな?

その2:一部のアクティブなユーザー間のネットワークに影響され世論との乖離している。ネット勢力図など見てもわかるように、ある程度の集団が形成されいて、内側は一定の論法や価値観が共有されている。この内部の肯定的なネットワークが密接であると、小集団でも検索で上位にあがってくる。これは本当の世論ではなく、集団外部との関係性を見て始めて社会的価値が見えてくるだろう。ID(個人)を固定せず各サービス(場所)に出入りするため、この集団が社会から見てどういう性質かが見えにくい。匿名IDでも今はいっている集団を捕らえることは可能なはずだが、現在のインターネットが最も機能していない部分だ。おそらく、個々webサービスと集団が密接にリンクしていて、googleのような巨大サービスでければ集団の性質を明らかにするメリットが生まれていないのだろう。この機能不全を現実世界に埋めようと考えると匿名否定に繋がると思う。


これらの問題は、ある程度機能的に補完することは可能だろうし、便利なのでサービスとして強化されていくと思う。集団というのは個人の想像を遙かに超えていて、機構に頼って処理していくしかない代物だ。その一方で、飛躍的な能力の拡張にもなり得る。この状況は国に責任をもつ王を持たずに、国民だけで国を運営し始めた時期に似ているように思える。かつて政治機構が直面した制御の難しい得たいモノに、個人が向かい合う時代が来たのかもしれない。

角川がWeb戦略を一歩すすめるようだ

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/090131/gam0901312223001-n1.htm 
妄想が止まらないので書き留める。ある種SFだ。

コンテンツの変化

 おそらく2次利用について言っているのだろう。"「独自性が高い」などの条件をクリアすれば、ユーザーにも広告収入が分配される"そうなので、オリジナリティが認められれば、ある程度2次製作者の権利も認める太っ腹な内容になっている。

 商品を売るビジネスモデルが成りたたなくなる中で、商売の新しい形を作り出す必要がある。コピーが溢れる以上、本物は何らかの希少性を出すしかない。その為には、同時性、同所性を演出するステージを作成し、持続的に人を集める事が必要だ。ミッキーマウスと(誰かと行くだろう)ディズニーランドのような関係を作り出す必要がある。

 おそらくニコニコ動画辺りをみてステージを作り出す事が可能だと考えたのでないだろうか。パフォーマンスは、人が集まる所で行われる傾向があり、人はパフォーマンスのある所へ集まる傾向がある。ここにお墨付きを与えれば・・・・。引用自由な論文等はこうやって自発的に運営されているし、たぶん正解だと思う。

 こうなってくると、ユーザーが入り込む為の詳細な世界観を持つようなコンテンツへ変化してくるだろう。登場人物も作りこまれて複雑化していくのかもしれない。角川のような1つの作品に時間をかける会社はよいだろう。

視聴メディアの変化

 見る側から言えば、TVで一回見てwebでワイワイ楽しむようになるかもしれない。少なくとも時間配分はそうなるはずだ。広告の露出度もユーザー数が増えるにつれて、web有利になっていくだろう。

 最近TVの広告費が下がってきていると聞く。どこまで下がるか?会社は視聴者数*時間を考えて費用のバランスをとるだろうから、明確な数値の出るwebサイトの情報を参考にして値段を決定するようになるだろう。この場合、リサーチ能力はwebのほうが高い。コンテンツ制作会社+マーケティング/企画会社が主体となっていく。将来もTVのビジネスモデルが変わらなければ、放送設備の維持でカツカツのレベルになってしまうかもしれない。

 感覚的には、まだ10年は掛かると感じるけど、新聞メディアの衰退が自分の考えたより3年くらい早く進んでいるので、どうなるか分からない。

実生活での人間関係の分断がメディアに与える影響

 大学時代にとった哲学の講座で、制度や産業が機械化、効率化が進むと仕事を介した人間関係が消失していく事がテーマになった。安全性、流動性が高まれば相手が誰であっても構わなくなっていくからだ。現在の社会の多くの部分は仕事の人間関係から構成されている(学生なら同級生や教授)。それらが弱まっていく一方で、共通の関心をもつ集団の存在感が大きくなっていくのでないかと感じられた。(アメリカのキリスト教原理主義、ドイツの緑の党なんかが良い例だと思う。俺、オタク仲間でつるめばいいじゃんみたいな事を話してしまった。死にたい。)

 仕事場の人間関係の弱体化が"マス"メディアの弱体化の原因なのでないかと思う。組織の強化には、共通の問題意識や価値観が欠かせない。その強化手段として"マス"メディアが無意識に求められたのかもしれない。そうであるなら、横並び意識の消えた現在では"マス"メディアは弱まっても不思議ではない。

 もう1つは、広く話題を伝える難易度が低下したことだろう。選ばれた人しか意見が述べられなかった状態から大きく変化したことが、良くも悪くも言論の多様化も促している。そういえば、NYの飛行機事故の第一報はweb上だった。目撃者がいれば速報性でも専業化された組織が太刀打ちできない事を示している。相変わらず高いと思われる編集能力は、偏向報道として嫌われており生かされていない。ただ、誰かが複雑化した情報を、人間の頭で理解できるように簡略化する必要はある。おそらく簡略化の主体が明確でない点が問題になっているのだろう。現在の専業化した"マス"メディアは利点が見え難く、機能不全も起こしている。

社会、政治の意思決定の形が変わるかも

 将来はコアになる問題意識の高い小集団から課題が発信され、それが一般化する、あるいはしない過程が社会の意思決定と言えるようになるのかもしれない。それ以降は承認のプロセスで、儀式的な社会契約にすぎない気がする。ちょうど、個人の無意識から意識に上る過程だと思う。

 この過程は、たぶん、小集団が連結したり個人が集まっていく作業過程で、今までは何の社会機構もなくその場限りで適当に済ませてきた。しかし、webはこの部分を拡張できる手段でもありそうだ。

今日の献立に最もよい材料を買える店探しから一般企業へ公的資金を融資すべきかまで様々な課題を集め提供できる滑らかさが、社会の健全化につながると思う。(全てが商売になるのは悪魔か!!と思うが期待したい)

ゼロ成長、内向きについて

http://blog.tatsuru.com/2009/01/05_1110.php文章が複雑に入り組んでいて、かつ面白いので脱線気味に少々思ったこと。自分の印象では経済的はどうかはともかく、ゼロ成長ではないし内向きでもないと感じた。喰うに足りれば十分と言っている一方で、喰うために外の状態にも目を向けている。そんな感じによめた。

サイズの問題について。

 問題の本質は人間の認識力の限界にある。時間をかけても数千のオーダーが一つ一つに注意を払える限界量だと思う。分割して行っても数百万を超えると効率が下がりそう。

 これは単純だといっているけど個人からグローバルまで応用範囲の広いテーマだろう。例えば政治だけでなく経済も同じで、グローバル化は個々のニーズまで踏み込めない事を意味している。現在グローバル化とニッチ化が同時に進行している。市場が拡大し商品の値段が下げられた一方で個々のニーズを満足させられない。これが値段を下げても消費者の動きが鈍い原因の1つでありそうだ。ニッチで内向きだけど部品を組み合わせたカスタムの商品と消費者のマッチングには未来がありそう。

後追いと結果評価について

 日本は島的な安定した社会構造を持っているので内側からの変化が起こりにくいが、社会構造の外から来た変化でたやすく変化する。社会構造の外から来た変化が本質的に有利な点がなくても、短期的にはしがらみがない分有利である。これ以上サイズが小さければ文化的な隔離状態を作るのは困難で、これ以上大きければ社会構造が常に変化する事になる。そういう微妙な相対的サイズなのだと思う。その為、外部のやり方を引き合いに出して変化を促す行動が刷り込まれているのだろう。

 それはそれで良いのだけど、問題は指摘通り評価が浅いこと。バフェット氏が本物と模倣者と愚者がいると言ったけど、模倣者と愚者のギリギリの線だと思うし、模倣もそこに自分の考察を加え始めると本物になってくる。まったく同じ事を分野を変えて話しているのだろうなと感じた。原因として少ない情報しか入ってこなくて議論にならない事と議論が一部に留まって一般化していかない事(影響力が少ない)にありそう。もう一段上の内向きを目指すなら外向きになる必要もあるかな。

内向きについて

 ここでいう外向きは世界標準化という意味で使っていて、それに対して内向きを使っている。そして自分がどの程度、国内仕様であるかを計りながら行動する事を忠告している。先ほども言ったけど、一般的な商品の需要はほとんど満たされて、そこに価値を見出す人は少なくなってしまった。その一方で、内側には満たされてない需要がかなりあって、そこに対価としての価値がある思う個人がいる。その接続が上手くいっていない。必要なのは、コミュニティ、仲介するメディア、要求を満足する物質がリンクする事かな。内側にも関わらず新しい場所を見つけたとき、それは国内仕様なのかと考えるとより深まると思う。

最近話題になっている派遣社員の契約期間内の雇用中止について

派遣切り批判をあえて批判するhttp://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081212/119407/?P=1という文章があって、いろいろ考えが沸いたのでメモ。

この記事の内容は「日本の労働法制を真正面から見据えて、企業の解雇権と解雇される労働者の権利を守るための法改正や社会的なセーフティネットの構築をしなければならなかった。」という事とマスコミ/政府の対応批判。

確かに、硬直した雇用を柔軟にする解決策として派遣業務を自由化とセーフティネットを同時作成すべきだった。しかし、実際にはヨーロッパやアメリカの状態をみる限り不可能だっただろう。例えば社会に不適合で、どうやっても仕事ができずに生命の危機に陥る人も出てくる。将来は教育が受けられず貧困の再生産の問題もある。また不景気になれば、好景気の時には問題にならなかった大量の失業者が一度に出ることへの対処も必要になる。これらは、どの国も社会問題として経験・対処していない。社会の構造が大きく変わると、問題が後から表面化して保障していかなければならない部分が出てくる。

法律が十分に整備されていない現時点で、政治家、会社、マスコミはいかなる立場を取るべきかが問われている訳だ。上記の記事の「会社は法の遵守で十分」という主張は、この論点で説得力を失っている。会社は利益を生み出す組織であるのと同時に社会機構の一部である。会社は経済と政治の両方を基盤にして成り立っていると考えて良いだろう。会社が派遣問題を軽視は社会問題を軽視すると政治的アピールを発信する事にもなる。それは反社会的なイメージとして会社の利益に跳ね返ってくるだろう。

私の主張としては、労働関係の官僚は恐ろしい速度で問題に対処し始めているし、政治家が法の隙間で政治的な不安定化を抑えようとするのは当然、マスコミも自分の仕事をしているように思える。今は耐えて問題点を洗い出し未来へつなげるべきだ。どうせ世界不況だもの資本は安定・信頼のある国に集まってくる。

Rubyのinject関数の記事を見た

一般的には畳み込み(fold)と言うらしい。Perlでも標準にライブラリにreduceという関数がある(なんでreduceなんだ)。使い方を見ると

use List::Util
$foo = reduce { $a < $b ? $a : $b } 1..10;      # min
$foo = reduce { $a lt $b ? $a : $b } 'aa'..'zz'; # minstr
$foo = reduce { $a + $b } 1 .. 10;              # sum
$foo = reduce { $a . $b } @bar;                  # concat
$foo = reduce {$a + $b} 0, (1, 2, 3);

最後のは3つの引数のうち第2引数で初期値を指定している。

基本的にスクリプト言語は関数があれば関数を使った方が早い。リストデータがメモリに載れば、この方法が早いだろうな。関数の記載の仕方をみると非常に柔軟性があるメモリに載らなくても

$foo = reduce {$a + $b} foreach (<FILE>);

みたいな記載はできるのか?あとでやってみる。ちょっとまて普段使っている

$foo += $_ foreach (<FILE>);

と同じか...。